フェアバンクス日記    1月のアラスカについて

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1997年1月8日(水)

今年の冬は寒い。
寒いというより痛さを感じる。

お正月はアラスカで過ごすことにしたのはいいけれど、連日マイナス40度、マイナス50度で、すでに一週間。
郵便局までほんの100メートルほど歩いただけで、顔は痛く、鼻は凍り、目はシバシバし、眼鏡が冷えて痛く、その上、今朝はついにダウンジャケットがごわごわになってしまった。
ジャケットの表面に水分がついていたのだろうか。

このぐらい気温が低いと、アイスフォグが出る。
アイスフォグ。
氷霧。

10時ごろの辺りの様子ときたら、神秘的に淡い桃色のベールが立ち込めて、一瞬立ち止まらずにはいられない。
この小高い丘の上から眺めると、スプルースの黒い森をやんわりと包み隠すように、白い霧が淡く濃く、時にはほんのりと紅に染まって、地上にたまっている。
上層の透明な空気に恐ろしい力で押さえつけられているかのごとく、それは地表に立ち込めている。
美しいけれど、その美しさはどこかに死を感じさせる性質のものだ。

あのピンク色のもやの中でうっとりとしているうちに、いつしか血の一滴まで凍り付いて、白い一個の物体になってしまった人間・・・。

この雰囲気を表そうとすると、いつも浮かぶのは「淡麗」という言葉。
空気、冷気、色彩、光、そういうもので構成される何かが、「淡麗」なのだ。
時には、この光にぴったりの音楽を思いだそうと試みるが、うっとりと美しく、甘く色づいていて、死を予感させる冷たさ、すべてを満たす音楽を知らない。
リズムを刻まないのだ。

時間がない光景。

動くものは何もなく、けれどいつしかそれは消えている。
動かないのに変わっていく・・・その変化の過程を目で確かめるには、マイナス40度の凍てついた空気はあまりにも痛すぎる。


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