まるちゃんと記憶の香煙
「きつねうどん」

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大阪ミナミの繁華街を歩いていた。

薄暗い町並みに時折夕日がチカチカと見え隠れしていた。
プレートを掲げたおっちゃんがあちこちにいて、細い路地の奧にはきらびやかな赤いお店が見えた。

父と一緒に歩きながら、私はチラチラとあちこちを盗み見る。
まだ小学生だった。

父は「おいしいうどん食べさしたろ」と言い、
不安なぐらいあちこちを曲がった末に小さな薄暗いお店に入った。

細長いカウンターの向こうにはもうもうと湯気が立ち込め、
白い帽子と白いエプロンをつけたやせた初老のおじさんが一人、動いていた。

高い椅子によじ登り、きつねうどんを注文する。
テーブルもない店内には、おじさんと私達以外誰もいない。

静かだった。
私は黙って、おじさんがうどんをばらして、大きな鍋に入れる様子を眺めていた。
うどんは妙に粉っぽく見えた。

そこへドヤドヤと大きなおじさんが女の人を連れて入ってきた。
大声で「おい、めしや めしや」と怒鳴りながら、一番右端に座った。

うどんを混ぜていたおじさんは、
ご飯がまだ炊き上がっていないので少しお待たせします、うどんならすぐ出来ます、
と答えた。

その瞬間、大きなおじさんは爆発した。
さらに大声で罵りながら、嵐のように店を出て行ってしまったのだ。
私はびっくりして声も出なかった。

おじさんは黙って私達のうどんを作り続けた。

出来上がったうどんを出す瞬間、おじさんはポツリとつぶやいた。

「おいしいもん 食べたかったら 待たなあかん。」と。

粉っぽくみえたうどんは、つやつやと透明に光っていた。
私は夢中で食べた。
大きな丼をすっぽり抱え、うどんツユも全部飲んだ。

私はおじさんに何か伝えたかった。何か言わなければ、と思った。
必死で考えた末になんとか出てきたのは、
「すごくおいしかったです」

椅子を降りながらもっと何か言いたかったのに、胸の中で渦巻くばかりで声にはならなかった。

その後、その店へは一度も行くことがなかったけれど
私は記憶の中で、おじさんのうどんを何度も何度も食べた。
おいしい、おいしい、とつぶやきながら。


2002/11/14

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