まるちゃんと記憶の香煙
「ばいしゅうのうめ」

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・・・・・・ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、これをあがってくださいと、おのれの死後に遺していった人を思ふ・・・・・・高村光太郎著「智恵子抄」より



ガレージの引き戸をがらがら開けると、
大きなガラス瓶が並んでいる。
琥珀色の梅酒。
ぷっくり膨らんだ薄緑の梅。

長い菜ばしで大きく張った梅を選り分けては、
よく食べさせてくれた。



暑い夏の昼下がりには、
外で園芸をしているじっちゃんと、子供たちに、砂糖水を作ってくれた。

氷がカラカラと音を立てる。
白い砂糖粒がクルクル回る。
ほんのり甘く、冷たい水。



甘栗の皮が山になる。
広げた広告の紙の上に並んでいく、丸い甘栗。
自分は食べずに。
爪を真っ黒にして。
いくつもいくつも。



ピンク色の風船ガム。
きちんと正座に座った口元から
ぷうと膨らむ風船ガム。

子供たちの小さな手が
あちらからもこちらからものびて来る。
風船ガムはぺっちゃんこ。

鼻の頭にちぎれたガムの端をつけたまま
入れ歯が飛び出すほど大笑い。



相撲好きで
プロレス好きで
イタズラ好きで
冗談好きで
子供好きで。

子供たちを上手くいたずらにひっかけると
「ぺこしゃーん!」
と言いながら
パチンと一つ手をたたく。
それから大笑い。



白い息を吐きながら
冷たい両手を包んでくれる、柔らかい手。
どんなに寒い冬の日も
いつもぽかぽか暖かい、ちゃあちゃんの手。
しわしわで
つるつるで
ぽかぽかな。



「いってきまーす」
「気いつけよー
はよ帰ってきーよー」



電話から聞こえる声。
元気か
身体に気つけよ
病気せんようにな
子供のことあんじょう見たってや、怪我させんようにな



もう何もわからなくなった。
もう誰もわからなくなった。
でも

目の前に立った私の子供を見て
すっと両手を伸ばした。

「おいで」

いつもそうやって抱っこしてくれた。
それだけは変わらなかった。
いつも手を伸ばし、抱っこしてくれた。
それがちゃあちゃんという人。
どんなになっても。



窓からじっと見送ってくれた
最後に見た姿。
ずっと立ってた。
見えなくなるまで。



ありがとう
ごめんなさい
ありがとう
ごめんなさい

いくらくりかえしても
決して取り戻せない時間

ごめんなさい
ごめんなさい
何もしなくて
そばにいなくて



ちゃあちゃんが作ったばいしゅうの梅。

魂はどこにあるのだろうか。
心はどこにあるのだろうか。



6/20/2008