まるちゃんがアラスカで出会った人物 テレサさん


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アラスカ大学で3学期目の96年春にとった「日本文学における女性の声 (Women's Voice In Japanese Literrature)」のクラスメート。
私より2歳年上。

テレサさんは、左の小鼻に小さなピアスをつけている。ダイヤモンドかもしれない。
髪はストレートで腰まで届くかというほど長く、普段はおだんごにしてまとめてある。

ジョーというフィアンセがいて、96年7月にフェアバンクスで結婚式を挙げる予定。
式では、ジョーさんのお父さんが牧師役をつとめてくれるはず。

日本とテレサさん

式後テレサさんだけ一足先に日本へ仕事をしにいく。
ジェットプログラムというグループに応募して、アンカレッジの高山領事さんたちに面接を受けた。多分中学校で英語を教えることになる。

お兄さんが熊本で英語を教えていて、何年か前に遊びに行った。
そのときにお兄さんの代理で授業を教えたり、お世話になった日本人家庭でお好み焼きを食べたり、浴衣をきせてもらったり、歌舞伎を見たりしたそうだ。

長崎、広島、京都、奈良、鎌倉などにも足をのばした。
京都では、苔寺でいろいろな苔を見たり、三十三間堂で仏像の行列を見たりしたことが印象に残っている。
今度是非したいと思っているのは、能を見ることと、鎌倉に行くこと。
鎌倉は有名なデートスポットと聞いたからだ。

日本の作家では、谷崎潤一郎が好きだ。

私のほかに、名古屋学院大学からきた日本人の交換留学生と週2回あっている。

テレサさんは、4年間日本語を勉強していて、読み書きのテストはかなりいい成績だが、会話が苦手で、授業中は他の生徒さんが日本語で話すのを聞いているだけのようである。

ライティングセンター

アラスカ大学では、授業のほかに、グルーニングビルディングの8階にあるライティングセンターで火木の週二回、1時から4時まで英語のレポートや論文の見直しをしている。時給6ドル。
一人を見るのに30分あるが、仮説なしでただ情報を書き流しただけの20ページの自称論文を持ってくる人や、主語って何、とか、論文に"むちゃかっこいい (This is cool.)"などというスラングを書いてくるアメリカ人、さらに、「ライティングセンターで見てもらったのに成績がCだった、いったいどうしてくれるのだ」といって怒鳴り込んでくる人もいたりして、そういうときは、日本語クラスの先生に愚痴を聞いてもらいにいくのだそうだ。

お母さん

お母さんはドイツ人で今もドイツに住んでいるが、テレサさんはずっとアメリカで育ってきたので、習慣の違うドイツは窮屈に感じるため、あまりドイツには住みたくない。

ジョーさんのお母さんは、2回離婚していて、今は独身。
テレサさんとジョーさんが結婚することを報告したとき、ジョーさんのお母さんは一言、「からかっているの?」(Are you kidding?)とニコリともせず言ったが、決してテレサさんの顔を見なかった。
テレサさんが日本に働きに行くことが決まったので、報告とお祝いを兼ねてシャンパンを持ってジョーさんのお母さんのところへ行った時は、テレサさんの仕事の為にジョーさんが日本へ行かなければならないのは許せない、と言って猛反対した。
テレサさんの両親や、ジョーさんのお父さんは大賛成で一緒に喜んでくれたのに、予想外の反対に顔がこわばってしまったが、そのくらいのことであきらめるわけはない。

骨折

12歳ごろ、一人で留守番中に、裏庭ですべった拍子に右手が何かにあたって、骨が折れてしまった。

骨は見事に折れ曲がり、皮を破ってくの字に飛び出ていて、それを見たテレサさんは生まれて初めて気絶してしまった。
しばらくして、意識を取り戻したテレサさんは、お母さんの勤め先に電話をかけて助けを求めたが、「怪我をした。」としかいえなかったので、お母さんが帰ってきたのはそれから3、4時間も後のことだった。
その間テレサさんは、なんとかして、これは夢だったのだと思い込もうとしたり、痛くないように腕の位置を工夫しようとしたりしたが、また気絶してしまった。

帰ってきて、飛び出た骨を見つけたお母さんは、こんなひどいことになっているのをなぜ電話で言わなかったのかと怒ったが、それは、自分でも信じたくなかったから言えなかったのだ。
お母さんは病院へ連れて行ってくれ、手術後、肩までギプスをつけられた。
手術中気絶はしなかったが、かわりに吐いてしまった。

それから治るまでに2ヶ月かかったが、1日に2回も気絶するようなひどい目にあったのはあのときだけだった。

住んだことのある街

アラスカに来る前は、シアトルや、メリーランド、ロサンジェルスにも住んでいた。

シアトルのノードストロームという大きなデパートの紳士服売り場で働いたことがあるが、客はえらそうにするし、本を頭に載せて落とさないようにまっすぐ歩く練習をさせられるし、もういやでいやでたまらなかった。

ロサンジェルスの街は、緑がなく、ビルと車であふれていて、あまり住み心地はよくない。

サンフランシスコの街は、住む場所ではなく、見物する場所として特別な思い入れがあり、レッドウッドという国立公園がお気に入りだ。

メリーランドには小さいころ住んでいて、馬に毎日乗って遊んだ。
障害物を飛び越えたり、裸馬に乗ったりした。
馬の首にかじりついて、進めの合図は下を一回打ち鳴らし、止まれは2回である。

アラスカにきてからは、チェナ・ホットスプリングス・ロード沿いに乗馬できるところがあるのを見つけて、ジョーさんを連れて行った。
ジョーさんにとってはそれが乗馬初体験で、馬に乗ったのはいいが、体が硬直していておかしかったそうだ。

アラスカでは、夏休みに日本人経営のサケ漁船も乗り込んで、アリューシャン列島近海などで、アメリカ人男性に混じってサケの網を船に引っ張りあげる仕事を何年かした。

まるちゃん宅にて

私の部屋に遊びに来たときは、日本人のところへ行くというので気をつかったらしく、やってくるなりチョコレートの小箱を差し出して、「つまらないものですが」と日本語で言った。
チョコレートは指大の丸い粒で、中にしょうが味のグミのようなものが入っていて、変わった味だった。

丸太小屋

テレサさんは、チェナリッジロードにあるログキャビンに住んでいる。
大学まで自転車で45分かかる。

見晴らしのよい丘を進み、車道から細い砂利道へ入り、さらに人が一人通れるだけの細い道を20メーターほど行くと、こぢんまりした丸太小屋があり、まわりには森、山、木だけ。
小屋の外壁には、自転車が3〜4台と自転車用タイヤが何本もぶら下がっている。

ささやかな花壇には新しく植えたらしい苗が見える。

トイレは野外にあって、小道がつけられている。
トイレといっても、三方と天井を木の板で囲った粗末な小屋で、ドアがない。
ひざの高さにしつらえた大の真ん中にぽっかり不器用な穴が開けられていて、穴の周りにはトイレットペーパーに使う為の紙が散らばっている。
腰をかけると眼下に森と川が広がる。
大自然を堪能しつつ、自身の自然も堪能してやろうとの魂胆か。
冬は電気も暖房もないので、懐中電灯をもって雪の中を漕いで行くのだそうな。

丸太小屋の中は、大き目の一部屋に、2階がついている。
扉のすぐ上にスノーシュー(雪靴)がかけられ、壁には旅行の写真が貼られている。
右手に台所。
電子レンジや冷蔵庫、オーブンはあるが、水がない。
水は町で大きなタンクに一杯買ってきて、それを小さめのタンクにいれ、バケツにそそいで使う。
洗濯も食器洗いもできないので、ある程度ためておき、一挙に洗うことにしている。
遊びに行った日は、前日に食器だけは洗ったが、二階の部屋に洗濯物が山積になっていた。

部屋の真ん中には古めかしい感じのする薪ストーブが陣取り、人間の胴体くらいの太い煙突が天井に向かって伸びている。
このストーブが唯一の熱源なので、冬は薪をたくさん用意して一日中燃やして暖を取る。
しばらく家を留守にすると、冬は部屋の中が凍ってしまい、温めなおすためにどんどん日を焚いたところ、煙突が真っ赤になって、火事になるのではと真っ青になったことがある。
ストーブの隣には2階に伸びる木の階段があり、2階にはベッドや寝袋、テントなどが置かれている。
部屋の右半分にはソファとコーヒーテーブルが置かれ、本棚にはナショナルジオグラフィックが並んでいる。

お好み焼き

テレサさんの家に遊びに行った。
テレサさんのご近所さんで、ライティングセンターで働いているマーガレットさんという、長い金髪にめがねをかけた白人女性も来て、お好み焼きをお昼に作った。
私はお好み焼きのプロフェッショナルだから、と言って、レシピを見ずに適当に作り始めると、テレサさんは、いつもレシピを見て計りながら作るが、キャベツが多すぎるのかうまくできないことがある、と言った。
具を考えて行かなかったが、すでにエビが用意されていた。
持って行ったキューピーマヨネーズとお好み焼きソースで、オーロラソースを作り、お好み焼きは成功し、お代わりもした。

テレサさんもマーガレットさんも、アメリカのマヨネーズがガラスビンに入っているのに対し、日本のキューピーマヨネーズの入れ物がやわらかいのに驚いて、ソフトだ、ソフトだ、と言いながら何度も両手に挟んで揉んでいた。

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